今回の災害で、
日々思うことは多いけれど、
刻々と事態は変化し、
思いがどんどん積み重なっていき、
言葉にすることが軽々しく感じられ、
さらに何も言えなくなり。
何かをきちんとまとめずに、
今日は、今日の気持ちを書きとめておこうと思います。
16年前の神戸の地震を体験したとき、
この未曽有(このときも使われた)の災害で、
この事態では、普段は日の当らなかった、そんなヒーローが現れるのでは、と、
いつも、直観的にモノを考える、
動物的な私はそう感じました。
半分は期待だったのだと思います。
余震が続く日々、交通が半ばマヒした中でも、
それでも仕事には行き、カセットコンロで調理し、延々徒歩で移動したりなど、
心身とも疲労が溜まっていました。
ヒーローは現れなかった、
というより、
そんな単純な分かりやすいものではなかった、
そんな薄っぺらいものではなかった、
今なら分かる、
ヒーローというのは全ての、復興に携わった人、全員だったと。
何年もかかって、
道路工事や高速やビルの耐震工事がなされ、
さら地だった街並みが少しずつ整っていき、
木々も育っていきました。
本当に、長い道のり。
だから、こんなときに、
ファッション的に目立ってヒーローのようにふるまう人、
チャリティを広告に使う人、
信用できない、偽善者。
現場で、ひたすらに、任務を遂行している人達、
その実直なヒーローたちに、
私が出来ることを、まっすぐに、声高でなく、謙虚に。
昨年夏、とあるご縁で篠山でご一緒した、
Civic Forceの大西健丞さん、
「困ってるところに飛んでいく人」として紹介していただきました。
今回、被害が大きかった気仙沼市で活動なさってます。
テレビで見ていると、気のせいか気仙沼の避難所の環境がすごく整ってるように見えます。
心強く、そして、アツくエールを送りながら日々見守っています。
そして、
今回はTwitterがかなり役に立ちました。
大切な情報収集(中にはデマもあったけど)に欠かせないこともありますが、
いつもの、人々の日常が感じられて、和んだりもしました。
現地で任務にあたる自衛隊員のつぶやきも。
救助のプロフェッショナルな方以外の、
地元で被災したうえで消防や医療の任務に当たる人々、
神戸のときは、そういった方々が何人も過労でたおれたので、
どうか、出来るだけ休養も取って欲しいと願う。
被災地から遠く離れたところで、
心を痛め、無力さや不安、心細さを感じる。
ありのまま少し声に出したら、そういう人は他にもたくさんいて、
自分だけじゃなかった、この気持ちは我慢しなくていいんだと。
とにかく、日々、しっかりと自分の仕事をして、
長い先を見越して、今動けることはきちんと行動に移して、
丁寧に、粛々と、過ごしたいと思います。
もちろん、きちんと、栄養、休養取りながら。
現地のヒーローにエールを送りつつ、
光りあるほうへ向かって、
元気に咲きましょう。
元気でいよう、
自分が必要とされたときに、
いつでも出動できる用意をして。
今日はまとまらず失礼。(いつもか・・・)