思えば10年が過ぎていた。
自分の居場所を探して、やりがいを探して、
自分の命を燃焼させるものを探して、
周りのみんなが迷いなく進学したり就職したり、という中で、
自分には何が出来るんだろう、と、
一人立ち止まって考え込んでしまった。
家族は、失敗しても良いから好きなことをすればいいよ、と、
温かく励ましてくれたものの、
自分が何をしたいのか、具体的には分からなかった。
それでも、何か美しいもの、感性に響くものにはアグレッシブで、
その栄養は日々の栄養以上に必要だった。
興味は自分へ、自分の内面へ向かうために、
他人にはあまり興味が無かったし、心も閉じていた。
他でもない自分自身のことだけに、逃げようがない。
何かで気が紛れることもなく、暇つぶしの趣味など興味も無かった。
仕事は何がしかしていたけれど、心は虚ろだった。
そしていつからか土を耕し、ハーブや野菜を育て、花を植えていた。
そんな複雑な心の声をごく一部の友人に聞いてもらったりして、
とにかく、日々ひたすら、トンネルの出口を、自分の居場所を探して生きていた。
ある誕生日にプレゼントされたブーケで、
純粋に、花の素晴らしさに、新しいスタイルに、感動した。
そして、その現場に飛び込んだ。
立ち止まって考え込んでから、その日まで、
10年が過ぎていた。
それに気づいたのはつい先日のこと。
そして、そこから本当に花が自分の天職だと気づくのに、
更に10年過ぎていたことも。
だから、
単純に花をモノのように、商売のネタに、他人任せに、出来ない。
ビジネスとしてはあまり良いことではないけれど、
そんな向き合い方をするフローリストがいてもいいのではないか、と思う。
そして、
経験があるからなのか、自分探しをしている人を放っておけない。
もちろん、何か手助けが出来るわけではないことは百も承知であるけれど。
それでも心からエールを送り、見守りたいと思う。
人も花も同じ、
どんな風に咲くのか、
どんな風に咲くのが一番美しく、居心地が良いのか、
私はとても知りたい。