合せ鏡

 

先日、ある方の送別会に出席しました。

バリに魅せられ、ウェディングやバリのクラフトのお仕事をしているうちに、

いよいよ現地に移り住んで本格的に、ということになったとのこと。

以前から人と人を自然につないで来たIさん、

いつ会っても笑顔で、いつも心がオープンで、いつも人への興味に溢れていた。

この日の送別会にも、

そんな彼女のお人柄そのままが映し出されたような、

穏やかで、心開かれた印象の人たちが集まり、

笑あり、涙ありの会で、彼女の門出を祝ったのでした。

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08aug 163

人と人・・・、

いま自分の周りにいる人たちとの間には、

合わせ鏡のようにまぎれもない自分が映しだされているという。

心を開いている人は他人を受け入れやすく、逆に人にも受け入れられやすい。

別の言い方をすれば、自分が心を開けば、相手も心を開く、のかも。

自分を長短含めて愛せる人は、人をも愛せる、と思う。

自分がエネルギーを発散すると、エネルギッシュな人から新たな元気をもらったり。

反対に、

猜疑心の強い人は、自分をも信じていない、自信のない状態。

人へのダメ出しが多く好みのきつい人は、実は「攻撃は最大の防御」で弱い自分を守っている。

人に対してドライな人は、実は自分自身への興味も薄い。

損得を最優先して人付き合いする人は、結局人間的部分で人から切り離される。

若干、後半の文章に「毒」を含んでおりますが(汗)、

そういった人をどう思うか、といえば、

私自身は、「川の流れのように」という曲の歌詞ではないけれど、

基本的に「人は~かわいい~・・・」と、そんな風に思う。

もちろんその都度、腹立ちを覚えたり?呆れたり?はするのだけれど、

決定的に嫌い!となるわけではなく、それ込でその人なんだな、と興味が湧く。

何かしら自分にご縁のある人には、

やはり幸せであってほしい、と思うので、

ときにはかなりおせっかいにアツく説教したり、

または長年音信不通になったとしても、幸せにやってるかなと思ったり。

特に、

才能に恵まれている人が「とりあえず楽しければ」的に、

自分の才能に向き合わずに生きていたり、

自分の道がまだ見つけられずにいる人には、

ついついおせっかい魂がアツく滾って(たぎって)、あれこれ言ったりしたりするわけです。

自分自身もまだまだなのに、えらそうに何なのだろう。

きっとこれは常日頃、さまざまな人に、色々な形で、

応援してもらってるからでは、と。

言葉の端々に、メールの一言に、またはお会いしたときに、

アツいエールを感じているからこそ、私も応援返ししているのではないかと・・・。

損得の計算なしに、

一生懸命に誰かが幸せな思いをするための橋渡しをしている、

そんなIonatsuさんを見て感じたことを、この夏の終わりに書きとめておきました。

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