先日、ある方の送別会に出席しました。
バリに魅せられ、ウェディングやバリのクラフトのお仕事をしているうちに、
いよいよ現地に移り住んで本格的に、ということになったとのこと。
以前から人と人を自然につないで来たIさん、
いつ会っても笑顔で、いつも心がオープンで、いつも人への興味に溢れていた。
この日の送別会にも、
そんな彼女のお人柄そのままが映し出されたような、
穏やかで、心開かれた印象の人たちが集まり、
笑あり、涙ありの会で、彼女の門出を祝ったのでした。
人と人・・・、
いま自分の周りにいる人たちとの間には、
合わせ鏡のようにまぎれもない自分が映しだされているという。
心を開いている人は他人を受け入れやすく、逆に人にも受け入れられやすい。
別の言い方をすれば、自分が心を開けば、相手も心を開く、のかも。
自分を長短含めて愛せる人は、人をも愛せる、と思う。
自分がエネルギーを発散すると、エネルギッシュな人から新たな元気をもらったり。
反対に、
猜疑心の強い人は、自分をも信じていない、自信のない状態。
人へのダメ出しが多く好みのきつい人は、実は「攻撃は最大の防御」で弱い自分を守っている。
人に対してドライな人は、実は自分自身への興味も薄い。
損得を最優先して人付き合いする人は、結局人間的部分で人から切り離される。
若干、後半の文章に「毒」を含んでおりますが(汗)、
そういった人をどう思うか、といえば、
私自身は、「川の流れのように」という曲の歌詞ではないけれど、
基本的に「人は~かわいい~・・・」と、そんな風に思う。
もちろんその都度、腹立ちを覚えたり?呆れたり?はするのだけれど、
決定的に嫌い!となるわけではなく、それ込でその人なんだな、と興味が湧く。
何かしら自分にご縁のある人には、
やはり幸せであってほしい、と思うので、
ときにはかなりおせっかいにアツく説教したり、
または長年音信不通になったとしても、幸せにやってるかなと思ったり。
特に、
才能に恵まれている人が「とりあえず楽しければ」的に、
自分の才能に向き合わずに生きていたり、
自分の道がまだ見つけられずにいる人には、
ついついおせっかい魂がアツく滾って(たぎって)、あれこれ言ったりしたりするわけです。
自分自身もまだまだなのに、えらそうに何なのだろう。
きっとこれは常日頃、さまざまな人に、色々な形で、
応援してもらってるからでは、と。
言葉の端々に、メールの一言に、またはお会いしたときに、
アツいエールを感じているからこそ、私も応援返ししているのではないかと・・・。
損得の計算なしに、
一生懸命に誰かが幸せな思いをするための橋渡しをしている、
そんなIonatsuさんを見て感じたことを、この夏の終わりに書きとめておきました。