随分前、たぶん、この仕事を始める前。
「何の花が好き?」と聞かれて私は、
「木に咲く花が好き」と答えていたらしい。
確かに、実家で咲いていた梅を始め、
こないだ書いた椿、広い意味で、藤の花も大好き。
そんな私がこの月曜に、
市場で見事な「しだれ桃」を見て、いや、見上げて、
その素晴らしさに心を奪われました。
大きなその木、無数のつぼみが付いていて、
少しほころんで咲いている花を見ると八重で、絞りのような模様、
そして、同じ木なのに、3種類の花が付いている。
力強い枝ぶりも、花つきも、
まったく素晴らしく、咲いたらさぞや美しいだろうなあ、、、
この花をどこで咲かせたいか、どう生かそうか、
と、何回もそのしだれ桃の前を通っては立ち止り、
妄想を膨らませ、溜息をついては眺め、買うには至らず、、。
そんなことを繰り返していると、
その枝を担当している人が後から声を掛けてきた。
「喉から手が出るほど欲しいやろ」
私は我に返って、いや、全くその通りだと。
そうしたらなんと、原価割れした値段で、その木を売ってくれたのです。
その人が損してまではいいです、と私は言ったのに、
いいから持っていけ、と。
そして大事そうに車に積んでくださった。
これほどのクオリティの花、
どこにどう活けようか。
出来るだけたくさんの、見る目を持った人が、
愛でてくれる、そんな場所。
ここしかない、そんな思いで、
そのお店の大将に相談すると、
いつも花を飾らせてもらってるところではないコーナーを提供してくださった。
そのお店はいつ行っても細やかで丁寧で滋味あふれるお料理に出会えるところ。
とはいえ、あの、四方に伸びた大きな枝が収まるか、
そのコーナーに立ち、イメージを巡らせ、一番美しく見える高さも探る。
家に帰り、しだれ桃と向き合い、もう一度イメージを巡らせる。
あの場所にうまく収まるか、
出来るだけ、どの枝も落としたくない。
どの花も、どのつぼみも、咲いて、みんなに愛でてほしい。
体調を整え、精神を統一し、器類、そして、しだれ桃を運ぶ。
エネルギーを湛えた木を活けるのには、それに負けないエネルギーが必要だから。
コーナーに器を置く。
器に水を湛える。
枝を、しだれ桃を、活ける。
すると、奇跡。
その三角のコーナーに、ぴったりと収まる。
まるで、そこで育ったように。
最も美しい角度が前面に落ち着いた。
このしだれ桃、
庭師さんの手によって、
何年も手塩にかけて育てられ、美しく仕立てられ、
自信作として市場に出てきた。
それを、市場の担当の人が、
ギラギラとした目で桃を見ていた私に、
多少の損を覚悟でも持たせてくれた。
良い花を活けたい人に、ホンモノを教えるのも彼の仕事なのだ。
今回は損をしてでも、私が良い花を知り良い仕事をしていけば、
見る目のある人からの仕事が増え、
またはその花を見た人の目が肥えていき、
ひいては花業界全体のレベルアップになるからなのだ。
私は、
最もそれが美しく映える、
多くの人に愛でてもらえるところに活ける。
桃が活けられたお店の大将は、
また今日も緩みのない丁寧なお料理を生み出す。
桃の花と相まって、
お客さんは一層季節感と美味しさを楽しむことだろう。
しだれ桃は堂々と、
「この場所で咲きたかった」とでも言うように、
これ以上ないくらいの妖艶さで、
この世の春を満喫すればいい。
しだれ桃を活け終わった時、
なぜか浮かんだ「おれの生きざま」という、言葉。
仕立てた庭師さん、
それを買い付けた市場の担当さん、
それを飾る場所を提供してくれた和食屋さんの大将、
そしてこの、しだれ桃自身、
(そして私も?)
そんな生きざまが、ギュっと混ざり合い、
一つの花の命がここで燃える。
それを見てしみじみ、充実感を噛みしめる。
それぞれの生きざまに、感謝。
活け込みの仕事が、
また更に楽しくなった。
追記:この「しだれ桃」、見ごろは今週いっぱいです。
美味しい和食と堪能したい方はご一報くださればお店情報をこっそりお教えします。